非日常と日常 (ハレとケ)

 日本人は昔から日常の生活を「ケ」、儀礼や祭事がある日を「ハレ」として、日常と非日常を区別して生活してきた。「ハレ」の日には、儀礼などに晴れ着を纏って赴き、祝宴では御馳走を食べたりお酒を飲んだりして特別な過ごし方をする。

 古来より、日本人は地水火風に神が宿っていると感じ、これを「八百万の神」といって尊重してきた。良い事も悪い事も、神様のおかげと考え、人々は祭りを行うようになった。祭りの華やかさ、発散されるエネルギー、行事の晴れやかさ、汚れを落とした後の清々しさが「ハレ」であり、「晴れ晴れ」「晴れ着」「晴れ姿」など「ハレ」の気持ちを表した言葉がたくさんある。

「日常に何か足りない。退屈である」と感じる人は少なくはないかもしれない。その態度は何かを期待して待機しているように見える。

ハレとケ』の概念からすれば、日常とは本来、地味なもので華やかさもない。地味な暮らしは退屈なのか。しかし、常に何か目指すものがある人からすれば、そんな日常も退屈とは思わないだろう。日常に何か慢性的な辛気臭さがあって鬱屈し、非日常のときにリセットするような構図では何も進まない。

『果報は寝て待て』という言葉がある。これは何もせずにただ良い知らせを待てという意味ではない。やるべきことをやったら後は気長にその報いを待てという意味である。つまり、ただ何かを期待して待つのではなく、自らの歩みによって、求める結果を得るために、良きに計らい行動するのが大切なのである。しかしながら、知らん間にそんな態度を他人に求めては、自分に対してはおざなりにしてしまうなんてことも少なくはないかもしれない。

 『ハレとケ』を理解した上で、他人とも打ち解け、独り良かれ(独り善がり)ではなく、皆良かれを目指したい。

ほな、またね。

Kikujiro

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