母国語を学ぶ -使い分けが大事-

 世の中、大事なことがたくさんありますけど、母国語をしっかりと学ぶことは大事ですね。

 先日、新聞を読んでいたところ、「日本語の学び」をテーマとした記事が載っていました。

 ある日本語学者の主張が非常に印象的でしたので、要約してご紹介します。

 言葉において大切なことは3つあります。

1.易しさ

 近年は来日している在留労働者のために、自治体などが易しい日本語の使用を呼びかけているようです。言葉の大きな役割は情報伝達にあります。日本は世界的に見ると災害大国であり、地震や台風のために、外国人はどこにいても被災者になる可能性があります。例えば、阪神淡路大震災、東日本大震災では多くの外国人が亡くなり、避難所でも日本語が理解できず苦労した方々が多かったようです。とりわけ、災害時の情報は人命に直結するからこそ『易しい日本語』が求められます。
 例えば、台風のとき、『危険なので不要な外出はお控え下さい』ではなく『危ないので外には出ないでください』という言葉を使うのが易しい表現になります。

2.ノリ

 これは時流に乗る。その時代の流れに乗るということです。言葉は移り変わりゆくもので、時代と共に意味や使い方が変わることは避けられません。
 例えば、省略語。『気持ち悪い=キモイ』『恥ずかしい=ハズい』これらは情報伝達の効率化が一因のようです。決してフォーマルには使えませんが、友達同士とか、近しい間柄でのやり取りには使えそうです。
 そして、過度な丁寧語。『食べさせていただきます』『ファミマさん』『ローソンさん』などの過度な丁寧語は円滑な人間関係を得るための知恵とも言われ、言葉がしっかりと生きている証であるように見えます。むしろ、過度な丁寧語を使ってもが立つことはあまりないように思われます。

3.深さ

 言葉はコミュニケーションの手段となりますが、それ以前に、私たちが考えたり、感じたり、判断したりするための手段となります。ですから、多くの語彙があれば、世界をより深く理解して豊かに生きられるはずです。
 例えば、『お腹が空いて歩けない』よりも強く表現するなら、『空腹で精根尽きそうだ』と言った方が空腹の度合いがかなり強く聞こえるでしょう。
 深い表現は不快だと敬遠して『易しさ』に一辺倒になり、易しい日本語だけが広がってしまうと、日本人の思考や感受性がぞんざいで無味乾燥に陥る恐れがあります。元来、人は理性と情緒の双方を持ち合わせており、誰もが自由に自己表現をして文化的に生きたいと思うものです。

 仕事においては限りある時間の中で結果を出すことを求められますから、論理的で簡潔完結するコミュニケーションは重要ですが、私たち自身の豊かな生活を考えると、多少は冗長になっても情緒の赴きがあると、人同士がお互いに関わり合う世界が面白くなるはずです。

 というわけで、言葉は「易しさ」「ノリ」「深さ」この3つのバランスが大事ではないでしょうか。

 ほな、おおきに。

 Kikujiro

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